戒律の融通について

戒律は大きく分けると戒と律の二種類に分けられます。
悪いことだから積み重ねると地獄に行くよという種類と
悪いことではなく積み重ねても地獄に行くようなことではないけれど集団生活を行う上で共通のマナーを決めときましょうという種類だと私は認識しています。
なので本当にどうでもいいような戒律もあるわけです。
例えば「立って小便をしたらいけなくて座ってしなければいけない」とか「ほおばって食べはいけない」「食べ物を一度に口に入れずにかじって食べてはいけない」とか「走ってはいけない」とか。
食べる戒律はつまり小さく細かく切ってある食べ物でないと食べられなくなります。
まず小便の話からします。
農村では必ずトイレで小便をするという男性は少ないです。
まるでトイレで小便をしてはいけないとでも思っているのかという感じです。
僧侶でも一般人でもトイレのすぐ前とかすぐ横の外で小便しているのをたまに見かけます。
3メートルぐらいならついでにトイレに入ってから小便すればいいと思うのですがその3メートルの移動が面倒でしょうがないようです。
戒律にはトイレで小便しないといけないという項目はないので座ってすれば問題ないと考える人が多いです。
戒律で立って小便ができないので一般人向けの男性トイレの小は使えません。
小であっても大のトイレを利用しなければなりません。
バス移動で立ち寄ったガソリンスタンドなどで男性用トイレの大が混んでいてたくさんの人が行列を作って待っていてこれ以上待てない時にどうするか?ですが人によって対応が違います。
1.ガソリンスタンドの敷地内(屋外)で座って小便をする。
2.男性なのに女性用トイレで座ってする。
3.男性用小で立って小便をする。
の三択になりますが、軽犯罪になる1と2を選択する人もいます。
1はまだ分かりますが、2は軽犯罪にしても1より大きめでしかも別の戒律に抵触しているような気がします。
我慢できる場合は行列に並ぶという選択肢もありますが一般人が大のために並んで待っている状態で小のために並ぶというのは許されるのかどうかも人によって考えが違います。
下痢で今にも漏れそうな人がいたとしても小のために大のトイレ待ち行列に並んでいいのでしょうか。
どうするべきという個人的見解はいいませんがこのような選択をしないといけないことは外出先ではよくあります。
戒律に対して融通が効かない人は軽犯罪をしてでも他人に迷惑をかけてでも座って小便する方法を選びます。
次に食べる戒律について。
細かく切ってあるものでないと戒律的に食べられないので多くの料理がそのまま食べられません。
タイ料理は細かく切らないことが多く手やスプーンなどで細かくできればいいですが骨付きの肉とかトウモロコシとかそれも難しく少なくとも時間がかかって時間内に食べることが困難です。
1.食べ物をお布施してくれた人に文句を言う。
2.包丁とまな板を用意して切り刻みながら食べる。
3.根性で手かスプーンを使って細かくして食べる。
4.食べない。
5.気にせず普通に食べる。
のような感じかな。
1と2は冗談で論外ですが、マナー的に許されるなら2は便利かも。
3はよくあることですが手を使うと行儀が悪いと言う人が周りに居ればスプーンを使うことになりそれが難しいと思えば4か5の選択になります。
3をしても骨付き肉とかはどうしても取り切れなくて食べ残しが出やすく貴重な肉がすぐそこにあるのに食べ残さなければいけないのは非常につらく部分的に5になりやすいです。
4もよくあります。
周りにうるさい人がいるときや大きな行事があって大勢の人がいる時など食べて怒られるよりは食べないほうが無難でしょう。
5もよくあります。
融通が効く人のほうが多いと思います。
食べ物が豊富で大量に余って捨てているような寺なら食べやすい食べ物だけ選んで食べにくいものは食べないことも簡単ですが食べ物が少ない寺ではどんなに食べにくい物でもなんらかの方法で食べなければ生死に関わるので食べないという選択肢は選びにくいです。
ポテトチップスは一般の寺では食べる機会はまずないですがある大教団の寺では朝はお菓子を托鉢でもらって朝食と昼食は寺内の厨房で在家が作った物を食べます。
朝もらったお菓子があるのでポテトチップスも食べられます。
ポテトチップスは戒律を守るとすれば普通に食べられません。
戒律を守るなら粉々にして食べるようになります。
一般の寺ではまずないですがもし人前で食べることになった場合どうするかという選択があります。
普通に食べればいい場合がほとんどですが少ない確率で融通が効かない人に文句を言われる可能性はあります。
「女性を触れてはいけない」は大事な戒律ですが「走ってはいけない」というよく分からない戒律もあります。
遅刻すると人に迷惑をかけてしまう場合でも歩いて遅刻するべきなのかバスに乗り遅れそうでも歩かないといけないのかそういう場面に直面することはよくあります。
まず有り得ない想定ですが目の前の池で女性が溺れていて周りに誰も居なく且つ自分が泳ぎが上手だったとしてあなたが僧侶だったとしてどうしますか?
1.走って池に飛び込んで女性を助ける
2.歩いて誰かを呼びに行く
3.見なかったことにして放置する
個人的見解を言うと怒られるかも知れないからあまり言いたくないのですが私は1を選びます。
戒律があるのだから2に決まっているという僧侶もいます。
戒律に対する考え方は10人居れば10通りです。
全員が一致する正解はないと思います。
僧侶として生きていると数多くの選択があり考えの相違でトラブルになることもあります。
女性が訪ねて来た時にどのように相手するかも悩ましい問題です。
他の人に文句を言われない距離感を保つのは難しいです。
一番簡単なのは冷たく追い返すことですがそれはそれで恨まれて後々の人間関係が悪化します。