予知能力のエスパーを要求されていた
今回の寺でのトラブルですが似たようなことは度々ありました。
日本人ではほぼ居ないのですがタイ人は何かを伝えることを異常に嫌う人とか返事をすることを異常に嫌う人が多いように感じます。
今の寺は「予定を伝えることをものすごく嫌う人」の下につくというパターンで、こういうパターンの寺は二回目で別の寺にもこういう人がいたのでタイでは特に変わっているわけではないのかも知れません。
いつどんな行事があるかという事前情報は故意に伝えられないわけです。
前居たある寺では数か月に一度バスで首都圏まで行くという長旅をする寺だったのですがいつも30分前とか出発直前になって「バンコク行くよ」って言われていました。
(正確にはバンコクには入ってないが首都圏という意味でバンコクが使われていた。)
予定はおそらく一か月以上前に決まっていると思います。
遅くても前日に言ってくれないのだろうか、それがだめならせめて朝一番に言ってくれよといつも思っていました。
今の寺(明日出て行くけど)は県外に出るような遠出はありませんが例外的な行事の出発の際に事前に知らされずに出発1分前とかに知らされることが多々あって消防士のように超急いで服を着ていました。
1分でも待つならまだいいほうで今回のように何も知らされず置いていかれることもありました。
予定を聞かさせていないだけなのに時間を守れないダメな人扱いされるのがすごく嫌でした。
予定があるかどうかも分からないのに24時間365日正装してかばん持って待機するわけにはいきません。
タイは暑くて正装したら汗だくだくになるので出発するか分からない時に正装するのは難しいです。
毎日頻繁に予定を聞くという方法もありますが、毎日毎日行事があるわけでもなく聞いたことが無駄になる日が続けば自然に聞かなくなってきます。
あと予定を言いたがらない人は返事するのもあまり好きではないと思います。
あとこれは寺の問題ではないのですが在家の坊さんを呼ぶ側のほうも時間を決めたがらないのです。
時間を決めて時計を見て行動するということをものすごく嫌います。
そんな人は日本では超特殊ですがタイの農村では普通です。
時間はいつも適当で朝、昼、夕方とアバウトな時間指定をしたがり何時何分とか決めたがりません。
腕時計とかもみんなしていないです。
たまに時間を決める人もいるのですがたいがい守りませんね。
一時間遅れ、二時間遅れとか普通でいつ始まるのかを知るのはエスパーになるしかないんです。
そういった環境で対応するためにパターンと勘で予知するエスパー能力を私は見に付けていました。
もう六年間この寺にいましたから今までのパターンは知っていてだいたいは当たるようになっていました。
葬式の初日は当てられないけど二日目とか三日目どこで何時に何するかというパターンは当てられるようになっていました。
誰からも予定を聞かされていないのに正装して時間通りに行くべき場所に現れるという能力を身につけていました。
勘に頼っている部分もありました。
でもたまに外れていたんですね。
今回も外れたんです。
今日住職と話をしてみたんですが在家から朝七時に葬式会場着で来るように言われていたそうです。
私はそんなこと聞かされていません。
六年間、朝七時より前にうちの村の葬式に出発したことは一度もありません。
初めてなんです。こんなことは。
今までずっと朝七時半ぐらいに迎えが来るパターンでした。
まあいつも予定知らされてなくても時間守っていたから今回も言わなくても守れるはずだと思ったのは分からなくもないです。
結局「時間を守れないおまえが悪い。予定時刻を教えないことも問題なし。出発することを知らせずに黙って行くことも問題なし。」だそうです。
強い信念の元にやっていて悪いことをしている自覚は一切ないようです。
しかし聞いてもいない時間を守るエスパー能力には限界があります。
時刻を知らされている側と知らされてない側のハンデは大きすぎて不公平に感じます。
この寺に来てまだ一年目とか二年目とかなら無言で出発されるのも少しは分かるんですが、もう六年もいるんだからせめて例外的に早すぎる出発するなら出る直前に一言何か言って欲しいと私は思います。
私は予知能力の限界と戦ったがついにギブアップすることにした。
予知能力が外れてサボリ扱いされる屈辱にはもう耐えられなくなった。
葬式に出たくないわけではなく出る気満々だったのに。
今考えたらなんでこんな寺に六年もいたんでしょう。
私は長年居れば少しは扱いを改めてもらえると信じていましたが何十年居ても同じだということが今日分かりました。
変わった人の下につくのは限界があるのでこの寺を出るのは正解だと思っています。
今のところ後悔はありません。
明日の朝、寺を出ます。
今の村にはものすごくお世話になりました。
感謝はすごくしています。
六年も置いていただいてありがとうございました。
村長に村を出る報告をしてきた。
9年前に住んでいた寺と8年前に住んでいた寺に行って帰ってくる途中村長の家に寄って報告をしました。
どこに行くのかは聞かれましたが、なぜ村を出るのかについては全く聞いてきませんでした。
まあ昨日、一回も葬式に顔出していないのだから知っているのだと思います。
なぜ私が全く顔を出さないのかは話題になったと思います。
昨日、食事抜きにされたので歩いて外食しに行きました。
寺に居るのに食堂に外食しに行くとか超レアケースで初めての経験です。
その時に会った村人に「どこに行くの?」と聞かれたので、「食事をもらえないから自分で食べに行く。もうこの村には居られない。ここの村人の性格は最悪。」ときついことを言ってしまいました。
もしかしたら私が言ったそのことを周りに言ったかも知れない。
なぜ今の寺を辞めようと思ったか
かっこ悪い話なんであまり書きたくないですが書いておきます。
この寺には六年ぐらい住んでいます。
この寺を辞めたいと思ったことはたくさんあります。
キレそうになって我慢、キレそうになって我慢を繰り返してきました。
ひとつの理由で辞めようと思ったわけではなく、積り積もった物の爆発みたいな感じです。
不満以外には交通の便が悪く交通費でお金がかかるのでバスの通っているところに引っ越したいという気持ちがずっとありました。
火事前は荷物がたくさんあって嫌なことがあっても引っ越すには荷物を捨てるしかなく我慢するのが得という考えがありました。
火事後は持ち物全て失って我慢する理由が少なくなっていました。
それでも個室の部屋があることは魅力で引っ越しも面倒くさいし人間関係をいちからやりなおすのもばかばかしいし我慢する理由は少しはありました。
積り積もった物に着火することになった事件は、葬式に行くのに置いてけぼりされたことです。
朝七時半に出ればいいものを私に黙って残り四人(僧侶二人と出家直前の在家二人)の全員が朝六時40分に出ていたんです。
葬式に故意に出さないこともそうですが、無言で行くのが問題だと思います。
葬式って唯一に近いぐらいの仕事で隣村ではなくうちの村、そして今はうちの寺の坊さんは私含めて三人しかおらず私は必ずの葬式に出なければならない身分のはずなんです。
もしなんらかの事情で葬式に出さないなら食事だけでも持ってくるのが普通です。
うちの村での葬式なので村人はみんな葬式に出ていて托鉢はありません。
一応仕事なんで置いてけぼりされたのが分かっていても正装に着替えてかばん持って迎えがくる可能性がわずかながらあったのでばかみたいに待っていましたが予想通り誰も来ませんでした。
歩いて30分ぐらいの所なので物理的には歩いて行くこともできたんですが僧侶としての尊厳を守るのも仕事なのでそれはできないと思いました。
八年連続で僧侶やっていて六年この村に住んでいる私が歩いて行って「置いてけぼりにされましたが来てもよかったですか?」と言うことは戒律的にも問題があります。
朝飯抜きになりました。
で、この葬式の続きにはもう出ないことにしようと思いました。
もう一切の業務に出ないことにしようと思いました。
そしてこの寺をこの村を出て行こうと思いました。
なんで置いてけぼりされたかというと、六年いるんで分かるんですがイジメです。
イジメに気づいた村人がそりゃおかしいだろとか言って迎えに来ることもなかったです。
完全放置プレイでした。
歓迎されていないのは確実で、遠まわしに出て行けってことです。
まあ別に出て行きますけど。
移籍する寺を決めてきた。
ホームレスになる覚悟もしていたけども別の寺にいけるあてもあった。
全然知らない寺に移るのはまず無理なので知っている寺から選ぶことになる。
隣村の寺も受け入れてくれるとは思う。
隣村は複数あって特にそのひとつの寺は私に対して好意的なのでまず問題なくいけるだろう。
だがそこにはあまり行きたくない。
その理由は携帯電話の電波が弱いことと、やはりここと同じく交通の便が悪く交通費がかかることとか村内の店が遠いとかその他。
生きていくためにはついでに交通の便がいいところに引っ越す必要がある。
でないと毎年のビザ取得時にお金が足りずに終わってしまう。
他に面識ある人がいる寺というと前に住んでいた寺しかない。
9年前に住んでいた寺と8年前に住んでいた寺が選択肢に入る。
まず9年前に住んでいた寺は割と近いので行ってみた。
住職はいなかった。
実は住職の顔とかは覚えてない。あまり話したこともないので。
そこは猫が多くいた寺で猫に会いたくて寺を出た後も何回か行ったことがあるけども数年後には住職以外の知った人はみな辞めていた。
ちなみに知っている猫に会えることはなかった。
処分されたのかな?
私のことを知っている人は超少ないですがなぜか今日会って話した人のひとりは私のことを知っていた。
私が今いる寺の名前を当てたのでどうして知っているのか聞いたら「(私を)見たことあるよ」って言われた。
どこであったんだろう。
なんか坊さんがたくさんいてここの寺に住むのは難しいなと思った。
坊さんが多いと個室の部屋に入れる可能性はほぼゼロだし食べ物もあまりないから。
居た坊さんに聞いてみると定員5人ぐらいなのに20人ぐらいいるらしくほとんどの人は部屋をもらえず雑魚寝しているらしい。
最悪雑魚寝でも我慢するつもりだがもうひとつの寺をあたってみることにした。
もうひとつのあてである8年前に住んでいる寺に行った。
そこの住職の顔は覚えていた。当時は住職ではなかったが。
そして8年前から居る人が他にもいて顔も覚えていた。
その寺がある村の子供たちと私は仲が良かったので寺を出てからも度々その寺に行っていた。
でも当時の子供たちが大きくなってからは行かなくなった。
最後に行ったのは何年前だろう。
実は当時の子供たちと仲良かったことが逆に住みにくい原因になっていると思う。
あまり仲良くすると戒律に触れるので避け合わなければいけないから。
なぜ子供たちと仲良かったかというと寺で日本語教室開いて教えていたから。
その時の私は坊さんではなくて在家だったので仲良くしても問題なかった。
ちなみにほとんどが女の子で天国みたいでした。
今まだ村にいるのかは知らない。
一応当時の子供たちとはFacebookで連絡取り合える状態ですがログインすらしておらず何年も音信不通です。
で、そこの住職が受け入れてくれるというのでその寺に移ることにした。
一応個室もあるらしい。
部屋は見てないけど多分狭いとは思う。
一軒家の小屋ではなく大きい建物に複数の部屋がある感じ。
できれば一軒家のような感じがいいがまあ贅沢は言えない。
私が昔居たときは個室はもらえずテントに住んでいた。
だから個室がもらえるとは想像しておらず雑魚寝も覚悟していた。
まだパスポート受け取り、引っ越し、ビザ取得、人間関係などやらないといけないことや乗り越えないといけないことがある。
気力ないし不安だけどもやるしかない。
出て行く意志を伝えた
さっき、住職がどうしたんだと聞きに来た。
どうしたんだも何も知っているはずだが。
「もうここには居れない」と言った。
今日はワンプラなので自分の分のご飯を入れる鉢を用意しろと言われたが「もうできない」と答えた。
じゃあ出ていけと言われた。
はい出て行きますがどこに行こうか。
パスポートどうするか
パスポートは申請に行っただけでお金はまだ払っていません。
受け取り時にお金を払うことになっていますが、パスポートを受け取らないという選択肢もあります。
お金かかりますしね。