なぜ今の寺を辞めようと思ったか
かっこ悪い話なんであまり書きたくないですが書いておきます。
この寺には六年ぐらい住んでいます。
この寺を辞めたいと思ったことはたくさんあります。
キレそうになって我慢、キレそうになって我慢を繰り返してきました。
ひとつの理由で辞めようと思ったわけではなく、積り積もった物の爆発みたいな感じです。
不満以外には交通の便が悪く交通費でお金がかかるのでバスの通っているところに引っ越したいという気持ちがずっとありました。
火事前は荷物がたくさんあって嫌なことがあっても引っ越すには荷物を捨てるしかなく我慢するのが得という考えがありました。
火事後は持ち物全て失って我慢する理由が少なくなっていました。
それでも個室の部屋があることは魅力で引っ越しも面倒くさいし人間関係をいちからやりなおすのもばかばかしいし我慢する理由は少しはありました。
積り積もった物に着火することになった事件は、葬式に行くのに置いてけぼりされたことです。
朝七時半に出ればいいものを私に黙って残り四人(僧侶二人と出家直前の在家二人)の全員が朝六時40分に出ていたんです。
葬式に故意に出さないこともそうですが、無言で行くのが問題だと思います。
葬式って唯一に近いぐらいの仕事で隣村ではなくうちの村、そして今はうちの寺の坊さんは私含めて三人しかおらず私は必ずの葬式に出なければならない身分のはずなんです。
もしなんらかの事情で葬式に出さないなら食事だけでも持ってくるのが普通です。
うちの村での葬式なので村人はみんな葬式に出ていて托鉢はありません。
一応仕事なんで置いてけぼりされたのが分かっていても正装に着替えてかばん持って迎えがくる可能性がわずかながらあったのでばかみたいに待っていましたが予想通り誰も来ませんでした。
歩いて30分ぐらいの所なので物理的には歩いて行くこともできたんですが僧侶としての尊厳を守るのも仕事なのでそれはできないと思いました。
八年連続で僧侶やっていて六年この村に住んでいる私が歩いて行って「置いてけぼりにされましたが来てもよかったですか?」と言うことは戒律的にも問題があります。
朝飯抜きになりました。
で、この葬式の続きにはもう出ないことにしようと思いました。
もう一切の業務に出ないことにしようと思いました。
そしてこの寺をこの村を出て行こうと思いました。
なんで置いてけぼりされたかというと、六年いるんで分かるんですがイジメです。
イジメに気づいた村人がそりゃおかしいだろとか言って迎えに来ることもなかったです。
完全放置プレイでした。
歓迎されていないのは確実で、遠まわしに出て行けってことです。
まあ別に出て行きますけど。