カンボジア族の村

今、私が住んでいる村はタイ領なんですがカンボジアに近くてカンボジア族の村なんです。
寺にはカンボジア人の坊さんがひとりいてタイ語は苦手なんですが、それでもあまり問題扱いされていない理由のひとつはカンボジア語が話せるからです。
そのカンボジア語で周りの人とはコミュニケーションがある程度とれているようです。
ただし私とそのカンボジア人とは話ができません。
村人は皆が特にカンボジア語を習ったことはなくカンボジア文字は読めませんが、カンボジア系の言語を話せる人が多くいます。
カンボジアの標準語ではないとは思います。詳細は不明です。
ただ全員が一番上手な言語はタイ語で、カンボジア語もどの程度のレベルなのかも怪しいのでカンボジア語だけでやっていくのは無理があるような気がします。
全くカンボジア語を話せない人も村には大勢います。
もしかしたら同僚のカンボジア人僧侶はこの村の人の遠い親戚なのかも知れません。
カンボジアとは目の鼻の先なのでカンボジア人との国際結婚はそんなに珍しくありません。
今、寺には五人の僧侶がいますが、その内のタイ人三人は、寺から歩いて10分以内に実家がある村人なんです。
そして村人同士というのは親戚同士でもあるんです。
私は歩いて10分範囲に実家がないだけで既によそ者なんですが、遠い国から来ているという、よそ者の中のよそ者です。
村人と親族でないだけでも居心地はあまりよくないかも。
まあ、よそ者であってもなくても僧侶としての仕事ができることを要求されているので厳しいですね。
私はタイ語能力は認めてもらえている感じかな。そこで少し救われています。
お経の能力はまだ不完全で、やいやい言われ続けているんですがさすがにある程度は上達しました。
やいやい言われるだけまだましかも知れません。
期待している人にしかやいやい言わないです。
前にこの寺に居た字が読めないタイ人僧侶たちは何も言われませんでしたから。
やいやい言ってもお経を覚えられるわけないから言うだけ無駄だということです。
普段何も言われないかわりに僧侶をやめて寺を去ることになります。
日本人にはピンと来ないかも知れませんがタイは識字率が日本ほど高くなくて字が読めない人はそれほど珍しくありません。
高齢であればあるほど識字率が下がります。
若い世代でも少ないですが文盲の人はいます。